宇都宮城 転封恨まれ?本多正純失脚 (1/2ページ)

★宇都宮城

2016.06.25

宇都宮城
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 元和8(1622)年4月、第2代将軍、徳川秀忠は家康の7回忌に日光東照宮の参拝を行った。行きも帰りも宇都宮城(栃木県宇都宮市)に宿泊する予定だったが、「宇都宮城主、本多正純に、秀忠暗殺の陰謀あり」という密告が幕府に寄せられ、帰りは宇都宮城に宿泊せず江戸城まで戻ってしまう。これが、俗にいう「宇都宮城釣天井事件」である。

 4カ月後、正純は幕府に対する謀反の疑いをかけられ、城を召し上げられたうえで出羽国(秋田県)の佐竹義宣(よしのり)にお預けとなり、横手に配流になる。当初は自由もあったが、住居の四方に柵をめぐらし、襖や障子も釘づけされる厳重な監視下に置かれた。

 正純は父親の正信(まさのぶ)と父子2代にわたって家康の側近として仕えた。家康の死後は、秀忠政権下で老中として「武家諸法度」の制定をはじめ、幕府草創期のさまざまな制度作りに携わった。また、大久保長安(ながやす)事件、福島正則(まさのり)改易にも大きく関与した。

 下野(しもつけ)国(栃木県)の宇都宮は、奥州、日光両街道を抑える要衝地で、元和5(1619)年、幕府は正純を宇都宮に入封させた。

 「正純謀反説」には裏があった。「正純に命を狙われている」と秀忠に密告したのは、家康の長女で下総国(千葉県北部)古河藩主、奥平忠昌の祖母、加納殿(亀姫)だともいわれている。

 加納殿は天正3(1575)年の長篠の合戦の功労者である奥平信昌と結婚。関ケ原の合戦後は、長男の家昌とともに宇都宮に入封し、20年余りかけて城下町の整備に力を尽くした。

 

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