このため、ローマ帝国の4世紀半ばにはすでに要塞が建造され、現代に残るカステルグランデ城郭はその跡地にロンバルディア人によって築かれました。そして15世紀にカステルピッコロ(小城)の別名をもつモンテベッロ城、さらに別の丘の頂上に新しい塔が建てられてサッソ・コルバロ城となり、この頃、カステルグランデとモンテベッロ城を結ぶ防壁も建造されています。
この町の支配はロンバルディア人からミラノのヴィスコンティ家・スフォルツァ家、さらにはフランスとめまぐるしく代わり、最終的にはスイス13州同盟に落ち着いて、それ故に3つの城はスイス原初3州にちなんでウーリ城、シュヴィーツ城、ウンターヴァルト城とも呼ばれます。
第2次大戦でベルリン・ローマ枢軸が確保したかったアルプス越えのルートを守ったのも、このベリンツォーナの要塞と考えるならば、この町を中心としたゴットハルト・トンネルを含む街道もスイス人民にとっての世界遺産かと思います。
■黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ) 慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム(株)テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、旅について熱く語る。