安土城(下) 「信長の権勢」誇示した天主 (1/2ページ)

★安土城(下)

2016.08.06

安土城天主跡
安土城天主跡【拡大】

 織田信長ファンなら一度は訪れたい場所が、安土城(滋賀県近江八幡市)だろう。戦国時代に築城されたなかでは、1、2位を争う名城だ。

 だが、天正10(1582)年6月2日、明智光秀の謀反で、信長が京都・本能寺に没すると、13日後に火災により、天主(=天守、安土城のみ天主という)は灰燼(かいじん)に帰した。豪華を極め、絢爛(けんらん)と輝いていた天主は、わずか3年の命運だった。

 明智軍とも、信長の次男、信雄(のぶかつ)ともいわれる放火説と、城下からの類焼説の二説があるが、確かなことは分からない。

 安土城の天主は不等辺8角形の天主台に、5層地上6階、地下1階、高さは石垣上32・5メートル、本丸から46メートルという巨大なものだった。琵琶湖の湖面から計算すると、安土城頂上部分までの高さは霞が関ビルに匹敵した。

 外観も最上階は金、次階は朱で塗られ、金箔瓦がふかれて金色に輝く豪華なものだった。3階までは吹き抜けで、中央には宝塔が納められ、狩野永徳(えいとく)・光信らの金碧障壁画などに彩られた内装で飾り立てられていた。

 天守(天主)の起源については、松永久秀(ひさひで)が永禄3(1560)年ごろに築いた多聞山(たもんやま)城(奈良県奈良市)が始まりだといわれている。

 安土城の天主は、いままでの軍事的役割は減少し、信長の権勢と「天下布武」の象徴、それ以上に信長自身の象徴「信長イズム」としての壮大な建築物であった。近世城郭における権威の象徴としての天守は、安土城によって確立した。規模や意図においても、それまでの城郭にはない発想に基づいていた。

 

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