名護屋城 城趾に残る秀吉の権勢 (1/2ページ)

★名護屋城

2016.08.13

名護屋城跡
名護屋城跡【拡大】

 豊臣秀吉が、朝鮮出兵(文禄の役と慶長の役)の本営および兵站(へいたん)基地として、九州の諸大名に命じ、九州・東松浦半島(佐賀県北西部)の波戸岬にある標高約80メートルの勝男岳に築いたのが名護屋城(佐賀県唐津市)である。

 文禄元(1592)年に始まり、翌年休戦した文禄の役では、名護屋城から約16万の兵が出陣した。慶長2(1597)年に始まり、翌年終結した慶長の役では、名護屋城から約14万の兵が戦地に向かった。

 名護屋城の築城は、天正19(1591)年10月から始まった。連日2万〜3万人が従事し、わずか5カ月で完成する。戦いのための陣城(じんじろ)でありながら、城域は約17万平方メートルにも及ぶ広大な城郭で、当時、大坂城(大阪市)に次ぐ規模を擁していた。

 本丸には、金箔瓦を使用した5層7階の天守がそびえ、二ノ丸、三ノ丸、遊撃丸、上山里丸、下山里丸などの郭(くるわ)が設けられる。城の周囲には、戦いのために集まった諸大名の陣屋も築かれ、その数は海岸線沿いを中心に百数十カ所におよんだ。

 名護屋城下には、京都、大坂、博多などから集まった商人の店が軒を連ね、20万とも30万ともいわれる人々が暮らしていた。「京をもしのぐ」といわれたほどだ。

 だが、秀吉が慶長3(1598)年に亡くなると、名護屋城は廃城となり、城下町も衰退する。

 

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