備中高松城 堤防を決壊させ毛利封じ (1/2ページ)

★備中高松城

2016.08.20

備中高松城跡
備中高松城跡【拡大】

 天正10(1582)年3月、羽柴(のちの豊臣)秀吉は備中国(岡山県西部)に侵攻する。5月に入ると、毛利氏に味方する清水宗治が守る備中高松城(岡山市北区高松)に対し、軍師・黒田官兵衛の献策により、総延長4キロメートル、高さ7メートルの堤防を築き、水攻めで孤立させた。折しも梅雨時で堤防内には水があふれ、城は水没した。

 ちなみに、合戦場に土木工事を導入した秀吉は異色の武将といえる。秀吉は堤防を約2週間で完成させている。土木技術や機械力で行う現代の土木工事と比較しても、完成の早さは驚異的だ。

 備中高松城を救うために駆けつけた毛利軍との間で膠着状態が続くなか、秀吉の元に「信長が明智光秀の謀反によって、6月2日に京都・本能寺で討たれた」という知らせがもたらされる。

 悲報を聞いた秀吉は、頭の中が真っ白になった。このとき、官兵衛は「秀吉様が天下人を取る絶好のチャンスです。逆臣の光秀を討って天下を取りましょう」と激励したといわれている。

 どんな時代でも「想定外」の事態への判断次第で、その後の方向性が大きく左右される。

 秀吉の場合、判断を間違えれば、光秀軍と毛利軍に挟み撃ちにあう恐れすらあった。秀吉の下した決断は「毛利氏とただちに和睦し、速やかに反転して、誰よりも先に光秀を討つ」だった。

 

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