伏見城 慶長地震、秀吉は被害を受けなかった台所で一夜 (1/2ページ)

★伏見城

2016.08.27

伏見城
伏見城【拡大】

 豊臣秀吉は、関白を甥の秀次に譲り太閤になると、文禄元(1592)年、朝鮮の役を起こす。同時に自らの隠居城として伏見(京都市伏見区)に城を築くことを命じる。

 伏見城は山城国(京都府)東山連峰の最南端にあたる桃山に、諸大名に1万石につき200人の賦役(ふえき)を課し、25万人が工事にあたり、2年の歳月で完成する。

 この地は宇治川の水運によって京都と大坂を結ぶ要所である。秀吉は隠居したとはいえ、独自の権力を振るう場所として伏見を整備した。城の周りには大名屋敷を配置し、京都、大坂の商人を集め人口6万という大都市へと発展した。

 文禄5(96)年7月12日深夜から13日にかけて伏見を巨大地震が襲う。このころ近畿地方は大小の地震が頻発しており、秀吉も伏見城の地震対策に力を入れていた。だが、のちに「慶長伏見地震」と呼ばれる地震は、秀吉の想定を超えた。

 このとき、秀吉は伏見城にいた。『当代記』によると「女●(=藹の言が月)(じょろう=奥向きにつかえる女性)73人、中居500人が死亡した」と記されている。秀吉は被害を受けなかった台所施設で一晩を過ごした。夜が明けて伏見城から北東に1キロ離れた木幡山に仮小屋を造り、避難生活を送った。この地震を契機に「文禄」から「慶長」に改元された。

 秀吉はただちに城の再建に取りかかり、再度伏見城に入城するも、慶長3(1598)年に没してしまう。

 

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