萩城(上) 毛利を僻地に封じた家康 (1/2ページ)

★萩城(上)

2016.09.03

萩城
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 日本の合戦史上、最も有名なのは天下分け目、関ケ原の合戦である。このときの勝敗が、戦国を生き抜いた大名らの運命を変えた。豊臣方(西軍)に属した多くの大名たちが改易、減封、取り潰しとなった。

 豊臣氏五大老の1人だった毛利輝元(てるもと)にも厳しい処置が下される。120万石から36万9000石に大幅に減封され、周防(すおう=山口県南東部)・長門(ながと=同県北西部)の2カ国のみとなった。

 西軍総大将を務めながら改易を免れたのは、毛利一族の重臣、吉川広家(きっかわ・ひろいえ)が徳川家康と内通し、毛利軍を実質的に戦闘に参加させなかったからだ。

 輝元の西軍総大将就任は、自ら望んだものではない。慶長5(1600)年7月12日、毛利氏の外交僧、安国寺恵瓊(あんこくじ・えけい)が、石田三成、大谷吉継(よしつぐ)、増田長盛(ました・ながもり)と会談し、決定された。

 この動きに対し、広家は、家康に「輝元は豊臣秀頼(ひでより)公をお守りするために大坂城(大阪市)に入城した。三成とは何の関係もない」と伝えた。家康も「輝元が関与していないことが分かって満足した」という意味の返書(本領安堵=あんど=の密約)を広家に送った。

 関ケ原が終わると、輝元は密約を信じ、毛利氏の居城である広島城(広島県広島市)に退く。だが、家康は約束を反故(ほご)にする。

 

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