萩城(下) 「家康憎し」幕末まで (1/2ページ)

★萩城(下)

2016.09.10

萩城
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 関ケ原の合戦で「敗軍の将」となった毛利輝元が、中国8カ国120万石から周防(すおう=山口県南東部)・長門(ながと=山口県北西部)の2カ国36万9000石に領地が大幅に減封されたことは、前号で述べた通りだ。

 この減封で失った6カ国の5年分の貢租を輝元はすでに徴収し、合戦などに使っていた。新しい領主は、その返還を求めてきた。特に強引だったのは広島城主となった福島正則で、返還額も7万〜8万石と大きかった。

 徳川幕府による相次ぐ天下普請の負担も重くのしかかった。長州藩は最初から深刻な財政危機に陥り、台所は火の車だった。思い悩んだ輝元は、ついに周防・長門の2カ国を返上すべきか、黒田如水(じょすい=官兵衛)に相談をする。

 だが、如水は返上することには反対し、「たとえ2カ国を返上しても、6カ国の貢租は返租しなければならず、2カ国さえ抱えていれば、道は開ける」と諭した。

 輝元は逃げ場のない大名のつらさをかみしめ、重臣らと協議して、家臣たちの家禄・給料を5分の1に減らす打開策を打ち出した。こうして危機を乗り越え、慶長7(1602)年までに6カ国への返租を完了させた。

 その後、260年の間に新田開発や過酷な検地などを行い、禄高をこつこつと積み上げ、幕末には100万石を超える富裕な藩財政を抱えるまでにいたった。

 

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