犬山城 「尾張徳川」にらむ家老城 (1/2ページ)

★犬山城

2016.09.17

犬山城
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 犬山城(愛知県犬山市)は、木曽川に突出した丘陵上に築かれ、その突端に天守がそびえている。天守背後の木曽川は、自然の要害だ。

 江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅう・そらい)は、犬山城の美しさを賛美して、古代中国の詩人、李白の詩にならい白帝城と表現した。白帝城とは『三国志』に名高い、蜀(しょく)の劉備玄徳(りゅうび・げんとく)のいた城で、李白は「朝に白帝を辞す彩雲の間、千里の江陵一日にして還る」と詠っている。

 犬山城は天文6(1537)年に、織田信長の叔父、信康(のぶやす)が築城したのが始まり。

 犬山城は3回の落城を経験している。最初は永禄7(1564)年、信康の嫡男、信清が信長に攻められると、城を捨て逃亡した。2度目は天正12(1584)年、城主は織田信勝家臣、中川定成だったが、小牧・長久手の合戦で、羽柴(後の豊臣)秀吉勢に攻略される。3度目は慶長5(1600)年、秀吉家臣、石川定清が関ケ原の合戦で豊臣方(西軍)に属したため、徳川方(東軍)に攻め落とされる。

 現在の犬山城は、関ケ原後に入城する小笠原吉次(よしつぐ)以降に整備されたものだ。その後、平岩親吉(ちかよし)が城主となるが、4年後に没したため、元和3(1617)年、成瀬正成(まさなり)が城主となり、明治維新まで成瀬氏の居城となる。

 だが、犬山城主となった成瀬氏は正確には大名ではなかった。徳川家康の命令で尾張徳川家の付家老として送り込まれており、独立した藩とは認められていなかった。藩として認められたのは、明治維新後、廃藩置県までの数年間だけだ。

 

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