小谷城 「戦国五大山城」の1つ 浅井氏滅び天守は長浜へ (1/2ページ)

★小谷城

2016.09.24

小谷城黒金門跡
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 「戦国五大山城」の1つに数えられる小谷城(滋賀県長浜市)は、浅井亮政(あざい・すけまさ)が、大永3〜4(1523〜24)年ごろに琵琶湖を一望できる伊吹山系の小谷山に築城したのが始まりだ。以後、亮政、久政(ひさまさ)、長政3代の居城となる。

 永禄10(1567)年、長政は織田信長の妹、お市の方を正室に迎え、信長と同盟関係を結ぶ。

 ところが、元亀元(1570)年4月、信長が浅井氏の盟友である越前国(福井県北東部)の朝倉氏を攻めると、長政は信長に反旗を翻(ひるがえ)し、義理の兄弟でありながら対立を深める。

 長政は、朝倉義景(よしかげ)、武田信玄などと連携しながら信長包囲網を構築。同年6月、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が激突する(姉川の合戦)。壮絶な死闘の結果、織田・徳川連合軍が勝利を収める。この敗戦で、長政は劣勢に立たされ、次第に追い詰められていった。

 天正元(1573)年8月10日、信長は約3万という兵力で長政の領地である北近江に進攻した。次々と浅井氏の拠点(砦=とりで)を落としていく。26日には長政が守る小谷城を包囲し、総攻撃をかける。

 落城を前に、長政は、お市の方に「そなたは信長殿の妹なれば、何の子細もござらぬ。信長殿の許に送ろう。もしそなたが命長らえて残ったならば、我が菩提(ぼだい)を弔ってほしい」といったと『浅井三代記』は伝えている。

 

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