津和野城 城趾に残る壮大な石垣 三層天守を建て (1/2ページ)

★津和野城

2016.10.01

津和野城跡
津和野城跡【拡大】

 元寇(弘安の役)の翌年の弘安5(1283)年、能登(石川県北部)地方の豪族、吉見頼行(よりゆき)は、鎌倉幕府の命を受け、石見(いわみ=島根県西部)地方の地頭として、この地に赴任した。

 永仁3(1295)年より津和野城(島根県津和野町)の築城を開始すると、正中元(1324)年に完成させ、14代にわたり吉見氏の居城となる。

 吉見氏は、戦国時代に入ると大内氏に属していたが、戦国末期には毛利氏に属した。天文23(1554)年、毛利氏の助けを借りて、11代、正頼(まさより)は、大内氏を滅ぼした陶晴賢(すえ・はるかた)と100日以上に及ぶ籠城戦の末、陶軍を撃退する。

 14代、吉見広長(ひろなが)は、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦では、毛利輝元(てるもと)とともに大阪城に入る。豊臣方(西軍)が敗れると、毛利氏は周防・長門国(山口県)の2カ国に減封となる。吉見氏も津和野を離れ、毛利氏とともに萩(山口県萩市)に移住した。

 代わって、徳川方(東軍)に属した坂崎直盛(なおもり)が津和野城に入城する。吉見氏の時代は小規模な郭(くるわ)を連ねた典型的な中世山城であったが、津和野の町並みを見下ろす比高200メートルの城山山頂を削平して、三層天守を建て壮大な石垣を設けた近世山城に大改修する。

 

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