有岡城、信長に反旗 落ち延びた荒木村重 (1/2ページ)

2016.10.15

有岡城跡
有岡城跡【拡大】

★有岡城

 有岡城(兵庫県伊丹市)は、もとは伊丹城といい、伊丹氏が南北朝時代から戦国時代にかけて居城としていた。

 天正2(1574)年11月、織田信長家臣、荒木村重(むらしげ)が、摂津国(大阪府北中部の大半、兵庫県南東部)の支配を任され、伊丹城に入城すると、城の名前を有岡城と改め、大改造を行う。

 4年後の天正6(78)年10月、村重は信長に反旗を翻(ひるがえ)し、有岡城に籠城する。このとき、信長の命を受け、村重の説得に向かったのが黒田官兵衛だ。

 ところが、説得は失敗に終わり、逆に囚われの身となり約1年にわたって有岡城の牢獄に幽閉される。この間、信長は「官兵衛が村重に寝返った」と考え、織田氏に人質として預けられていた松寿丸(後の黒田長政)を殺すように命じた。

 だが、松寿丸は羽柴(後の豊臣)秀吉の軍師だった竹中半兵衛が匿う。官兵衛が有岡城から無事に戻り、疑念が晴れると、松寿丸も織田氏の人質から解放される。官兵衛は命は助かったが、幽閉されていた間に膝の関節が曲がり、髪の毛が抜けて禿(はげ)頭となった。

 天正7(79)年9月2日、突然、村重は単身、嫡男、村次(むらつぐ)の居城である尼崎城(兵庫県尼崎市)に脱出すると、2度と有岡城に戻ることはなかった。

 信長の「城を明け渡せば、おのおのの妻子を助命する」という降伏の条件を、村重は拒否した。信長は村重の実力を高く評価しており、最大限の譲歩を見せたが、村重は突っぱねたのだ。

 

産経デジタルサービス

IGN JAPAN

世界最大級のビデオゲームメディア「IGN」の日本版がついに登場!もっとゲームを楽しめる情報をお届けします。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。