弘前城(上) お家騒動に乗じた津軽為信 (1/2ページ)

2016.10.22

弘前城
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★弘前城(上)

 津軽地方(青森県西部)は、もともと南部氏の支配地であった。元亀2(1571)年、南部氏のお家騒動に乗じて、家臣の大浦為信(ためのぶ)が反旗を翻した。次々と津軽の諸城を攻め滅ぼし、大浦氏による津軽一帯の支配が始まった。

 天正18(1590)年、為信は南部氏に先んじて豊臣秀吉の小田原攻めに参陣し、念願の津軽安堵(あんど)の朱印状を秀吉から下付される。このとき、大浦から姓を津軽に改名する。

 以降、津軽氏と南部氏は対立する。南部氏にしてみれば、家臣であった津軽氏が勝手に独立を宣言し、しかも公的に認められたのだから、おもしろいわけがない。

 慶長5(1600)年の関ケ原の合戦では、為信は徳川方(東軍)に属し、2000人の兵を率いて大垣城(岐阜県大垣市)攻めに参戦。津軽領主の地位を確保した。

 為信は慶長8(1603)年、高岡(青森県弘前市)の地に目をつけ、新城と城下町の建設を計画するが、慶長12(07)年に京都で没する。2代藩主、信枚(のぶひら)に築城工事は引き継がれ、慶長16(11)年に完成する。

 当時の津軽氏の石高は4万7000石だったが、城の広さは約38万平方メートルに及び、30万石の大名に匹敵するものであった。隣国が津軽氏に恨みを持つ南部氏であり、いざというときに備えて、城を堅固なものにする必要があったのだろう。

 

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