赤穂城 模型が残る幻の5層天守 (1/2ページ)

★赤穂城

2016.11.06

赤穂城三ノ丸隅櫓
赤穂城三ノ丸隅櫓【拡大】

 赤穂城(兵庫県赤穂市)は、「忠臣蔵」を扱った歴史ドラマや映画でたびたび登場する。城郭ファンだけでなく、歴史好きであれば誰もが名前だけは知っている城の1つだろう。

 近世城郭として赤穂城が整備されたのは、正保2(1645)年に浅野長直(ながなお)が入城してからだ。長直は、殿中刃傷事件を起こした「浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ」、長矩(ながのり)の祖父にあたる。

 長直入城までの赤穂城は、石垣もなく陣屋形式の簡素なものでしかなかった。築城にあたり兵学者、山鹿素行(やまが・そこう)を招いて指導をあおぎ、14年の歳月をかけて完成させる。赤穂城は5万3000石の大名の城としては、大規模なものであった。

 城の本丸を石垣と水堀で囲み、その周囲を二ノ丸が取り囲んだ。二ノ丸も石垣と水堀で囲み、二ノ丸南側は大手門を置いて海からのアクセスを容易にし、北側から西側にかけて三ノ丸を配置するという独特の縄張(なわばり)となっていた。

 長直は、木図(ぼくと)と呼んだ立体設計模型で、5層天守の姿を造り、本丸に天守台石垣まで築いた。だが、徳川幕府の許可が下りなかったため、天守は築かれなかった。代わりに御殿(ごてん)が置かれた。浅野氏菩提寺には、赤穂城に築かれる予定であった天守の模型が残っている。

 赤穂城は昭和58(1983)年から発掘調査が始まり、平成8(1996)年には大手門枡形、本丸門および枡形、本丸厩口門が、古写真や古絵図などを参考に復元された。平成14(2002)年には、「本丸庭園および二ノ丸庭園」が国の名勝に指定される。

 

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