福井城(北ノ庄城) 大火に消えた大天守 (1/2ページ)

★福井城(北ノ庄城)

2016.11.12

福井城跡
福井城跡【拡大】

 福井城は、もとは北ノ庄城といわれていた。柴田勝家(かついえ)が越前国(福井県東部)を織田信長から与えられ、天正3(1575)年に築城したのが北ノ庄城だ。

 勝家は信長の妹、お市の方を妻にしていた。天正11(83)年の賤ヶ岳の合戦で、羽柴(後の豊臣)秀吉に敗れ、北ノ庄城が包囲されると、お市の方に脱出を勧める。お市の方は3人の娘を脱出させると、自らは城に留まり、勝家とともに天守に火をつけて自害した。北ノ庄城のほとんどの建造物は、このときに焼失した。

 残された3人の娘のなかで、お市の方に一番似ていたのが長女の茶々といわれている。茶々(後の淀殿)は秀吉の側室となり、秀頼を産む。次女の初は京極高次(きょうごく・たかつぐ)の正室になり、三女のお江は第2代将軍、秀忠の正室となった。

 関ヶ原の合戦を経て、慶長6(1601)年、隣国・加賀国(石川県南部)の前田氏への押さえとして、徳川家康の次男、結城秀康(ゆうき・ひでやす)が越前国68万石の領主として入封した。北ノ庄城の跡地に新城の築城を開始する。

 秀康が、松平氏(越前松平氏)を名乗ることを許されると、御家門の居城にふさわしい城となるよう天下普請で工事が続けられる。完成した城は、本丸に4層5階、天守台を含め、高さ約37メートルの天守がそびえていた。

 だが、秀康の子、忠直は乱行で知られ、一時、越前松平氏は断絶の憂き目にあう。その後、越後国高田(新潟県上越市)から忠直の弟、忠昌(ただまさ)が入城すると、越前松平氏は復活する。

 

産経デジタルサービス

IGN JAPAN

世界最大級のビデオゲームメディア「IGN」の日本版がついに登場!もっとゲームを楽しめる情報をお届けします。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

「ソナエ 安心のお墓探し」では、厳選されたお墓情報を紹介! 相続、葬儀、介護などのニュースもお届けします。