関宿城 「水の拠点」上杉・北条が争奪戦 (1/2ページ)

★関宿城

2016.11.20

千葉県立関宿城博物館
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 関宿(せきやど)城(千葉県野田市)は、江戸川と利根川の分岐にあたる下総(しもうさ)国北部(千葉県北部)の要地に、長禄元(1457)年、古河公方(こがくぼう)足利成氏(なりうじ)家臣、簗田成助(やなた・しげすけ)によって築かれる。

 戦国時代、関東の制圧をもくろむ小田原の北条氏は「関宿を抑えるということは、1国を獲得することと同じ価値がある」とまで評していた。

 戦国時代末期になると、北条氏と越後国(新潟県)の上杉氏のあいだで、関宿城をめぐる激しい争奪戦が繰り広げられた(関宿合戦)。

 北条氏は、上杉謙信・佐竹義重(さたけ・よししげ)の支援を受けた簗田晴助(はるすけ)の守る関宿城を3度にわたり攻撃した。天正2(1574)年、北条氏が勝利すると、北関東進出の拠点とする。

 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が敗北すると、関東八州は徳川家康の領地となる。家康は入封すると、関宿城を利根川水系などの水運を管理する河川交通の水番所(関所)の監督や、江戸を洪水から守る水防の役割を果たす重要な城として位置づけた。

 当時の利根川は、現在の古利根川・中川筋であった。のちの江戸川筋には利根川とは別水系の渡良瀬川、その東には利根川とは水源の異なる常陸川が流れていた。

 利根川と常陸川は、江戸期の初めに赤堀川開削によって接合されると、利根川は旧常陸川の流れに乗って香取海、そして銚子から太平洋へと注ぐ、現在の利根川の原型が築かれる。これが有名な徳川幕府による「利根川東遷」事業だ。

 

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