二条城(上) 「幕府優位」誇示した5層天守 (1/2ページ)

★二条城(上)

2016.11.27

二条城二ノ丸御殿
二条城二ノ丸御殿【拡大】

 二条城(京都市中京区)は、織田信長が永禄12(1569)年、足利幕府第15代将軍、義昭(よしあき)のために築いたのが最初である。もとは第13代将軍、義輝(よしてる)が住んでいた場所で、二条の館(やかた)と呼ばれていた。

 しかし、天下統一をもくろむ信長はしだいに義昭と対立するようになった。二条城は信長に攻め落とされ、義昭は京都から追放される。その後、二条城には誠仁親王が入り、二条御所と呼ばれるようになった。

 豊臣秀吉も聚楽第(京都市上京区)を築くまでは、二条城を京都の拠点として利用していた。

 現在の二条城は、慶長6(1601)年5月、徳川家康が西国大名に命じて天下普請で築城を開始し、5000軒もの町屋を立ち退かせ、2年の歳月をかけて完成させたものだ。

 慶長8(03)年2月、伏見城(京都市伏見区)で征夷大将軍補任の宣旨(せんし)を受けた家康は、3月に二条城に入り、「拝賀の礼」のために参内した。その後、家臣や公家衆を招き、就任の祝宴を二条城で開催する。慶長16(11)年には、家康と豊臣秀頼の会見も行われた。

 朝廷に対する徳川幕府の優位性を誇示するため、第3代将軍、家光の時代に二条城は洛中の城としては初めて5層天守が築かれる。ただ、将軍上洛(=京都に入ること)時の宿泊所という位置付けから、城構えは、優美で殺伐さを感じさせないたたずまいを持った城であった。

 

産経デジタルサービス

IGN JAPAN

世界最大級のビデオゲームメディア「IGN」の日本版がついに登場!もっとゲームを楽しめる情報をお届けします。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

「ソナエ 安心のお墓探し」では、厳選されたお墓情報を紹介! 相続、葬儀、介護などのニュースもお届けします。