岩村城(下) 武田恐れ信長を裏切り…女城主に待っていた残忍な復讐 (1/2ページ)

★岩村城(下)

2016.12.17

岩村城の六段壁
岩村城の六段壁【拡大】

 岩村城(岐阜県恵那市)の女城主として実権を握った岩村御前であったが、平和な生活は長くは続かなかった。

 元亀3(1572)年、武田信玄が京に向けて進攻を開始すると、武田軍の秋山信友(のぶとも)がふたたび岩村城に攻め寄せてきたのだ。

 岩村御前はただちに、信長に救援要請をしたが、信長自身が武田軍の本隊に対応するのが精いっぱいで、岩村城に援軍を送る余裕はなかった。

 秋山軍は岩村城に対して持久戦を仕掛け、糧道を断ち、じわりじわりと攻め立ててきた。城内の兵糧も乏しくなるなか、岩村御前は幼い御坊丸を守りながら不安に駆られていく。「このまま織田の援軍がこなければ、死を覚悟するしかない」と思っていた。

 そこに信友からの使者が現れ、和睦を持ちかけてきたのだ。条件は「織田方から寝返って開城してくれれば、あなたをわが妻にお迎えして、この城を守る。御坊丸も大事に養育して、いずれは城主にする」というものであった。

 和睦の条件に、岩村御前も当初は動揺したが、御坊丸の命を守るという一心で、信友の妻となることを受け入れる。

 ところが、またも岩村御前を不幸が襲う。信玄が病に倒れ亡くなり、今後は逆に信長による反転攻勢が始まったのだ。

 天正3(1575)年5月、信玄の跡を継いだ武田勝頼が長篠の合戦で織田・徳川連合軍に敗れると、岩村城には信長の嫡男、信忠(のぶただ)が3万人の兵を率いて攻め込んできた。

 

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