小倉城(上) 頭でっかちの南蛮天守 (1/2ページ)

★小倉城(上)

2017.01.08

小倉城
小倉城【拡大】

 九州最北端の地である小倉は、関門海峡を望む玄関口に位置し、水陸両面の交通の要衝(ようしょう)として、古くから重要視され続けてきた。

 小倉城(北九州市)の歴史は鎌倉時代に緒方惟重(これしげ)が築いたのが最初といわれ、勝山城、あるいは勝野城と呼ばれていた。

 南北朝時代以降は、大内氏、大友氏などによる攻防戦が繰り広げられ、天正15(1587)年には毛利勝信(=中国の毛利氏とは無関係)が入城した。勝信は慶長5(1600)年の関ケ原の合戦で、豊臣方(西軍)に属したため改易となる。

 代わって入城したのは、関ケ原の武功により豊前(ぶせん)国(福岡県東部と大分県北部)と豊後(ぶんご)国2郡(大分県北西部)の36万9000石を与えられた細川忠興(ただおき=妻は細川ガラシャ)だ。

 当初、忠興は中津城(大分県中津市)を居城としたが、陸と海の覇権を握るには小倉の方が適しているため、小倉城に移ることを決断する。慶長7(1602)年から築城を開始し、5年の歳月をかけて完成させた。

 小倉城の縄張は、忠興自ら行い、響灘(ひびきなだ=関門海峡の北西に広がる海域)に注ぐ紫川河口の丘陵地に築いた平城だ。最高所に本丸と北ノ丸、南に松ノ丸、その周りに石垣や水濠をめぐらし、二ノ丸下台所・侍屋敷・御廐(おうまや)・勘定所などの郭(くるわ)を配置した。

 城の東側を流れる砂津川や西側の板櫃(いたびつ)川、溜池を外堀として利用した。響灘の方面に舟着場を設け、城下町一帯には土塁をめぐらし、街道筋には門を設けて防備を固めた。

 

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