忍城(上) 上杉謙信や数々の名将を撃退「不落の浮き城」 (1/2ページ)

★忍城(上)

2017.02.05

忍城
忍城【拡大】

 忍城(埼玉県行田市)は、この地を支配していた忍一族を滅ぼした成田氏が、文明11(1479)年ごろ、築城を開始したと伝えられている。利根川、荒川に挟まれた低湿地帯のほぼ中央にあり、沼や湿地を巧みに利用し、そこに浮かぶ島を郭(くるわ)とする通常とは異なる築城方法が用いられている。

 そのため、攻めにくく守りやすい城となり、数々の名将を撃退して「忍の浮き城」との異名を持つようになった。

 忍城が「不落の名城」として名を上げたのは、天文22(1553)年のことである。日本三大夜戦の1つといわれた河越夜戦で、関東管領の上杉憲政(のりまさ)に勝利した北条氏康(うじやす)は、関東各地の豪族を攻略し支配権を確立していった。これに反発した成田氏は、忍城に籠城して北条氏を撃退する。

 その後、北条氏に帰順した成田氏は、天正2(1574)年、上杉謙信(けんしん)に攻められた際にも、落城することなく持ちこたえたことで、堅城ぶりが関東一円で評判となり、関東七名城の1つに数えられるようになった。

 天正17(89)年11月24日、関白となった豊臣秀吉が全国に発した大名間の私闘を禁じた「惣無事令」(そうぶじれい)に違反して、北条氏は真田昌幸(まさゆき)の沼田城(群馬県沼田市)の支城・名胡桃(なぐるみ)城(同県利根郡みなかみ町)を奪った。

 このことが秀吉の怒りを買い、北条氏を「誅伐」する旨の文書が諸大名に発せられた。

 

産経デジタルサービス

IGN JAPAN

世界最大級のビデオゲームメディア「IGN」の日本版がついに登場!もっとゲームを楽しめる情報をお届けします。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

「ソナエ 安心のお墓探し」では、厳選されたお墓情報を紹介! 相続、葬儀、介護などのニュースもお届けします。