忍城(下) 石田三成が荒川と利根川を結ぶ堤防を築き水攻め (1/2ページ)

★忍城(下)

2017.02.12

忍城
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 豊臣秀吉から、小田原城(神奈川県小田原市)の支城の1つである忍(おし)城(埼玉県行田市)攻略の大将を命じられたのは、31歳の石田三成であった。三成が率いるのは盟友、大谷吉継(よしつぐ)、長束正家のほか、佐竹義宣(よしのぶ)、多賀谷重経(しげつね)、真田昌幸ら東国の大名ら総勢2万3000人の大軍であった。

 当時の三成の身分や、他の支城攻略の別動隊の大将の顔ぶれから比較すると、これは大抜擢であったといえるだろう。

 三成軍はまず、館林城(群馬県館林市)に向かい、これを降伏・開城させる。次に向かったのが忍城である。

 忍城主の成田氏長(うじなが)は、主だった将兵を引き連れ小田原城に参じていた。開戦直前に城代の成田泰季(やすすえ)が病死したため、その子、長親(ながちか)が城代として、300人の将兵と農民合わせて3000人程度で城を守っていた。

 三成軍は当初、忍城を簡単に落とせると目論んでいた。だが、城の周囲は沼や湿地に囲まれ、大軍を持ってしても容易に近づくことすらできず、城攻めは難渋を極めた。

 そこで三成が採った戦法が水攻めである。

 近在から10万人の作業員を集めると、忍城を一望する丸墓山を起点として、荒川と利根川を結ぶ全長28キロメートルにも及ぶ半円形の巨大な堤防を築き上げた。これが後世、「石田堤」と呼ばれるようになった堤である。

 

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