篠山城 「豊臣を刺激」家康の腹心・本多正信の提言で天守築かず (1/2ページ)

★篠山城

2017.02.26

篠山城大書院
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 徳川家康は慶長13(1608)年、山陰と山陽、京都と大坂を結ぶ交通の要所であった篠山(ささやま)盆地に篠山城(兵庫県篠山市)の築城を命じる。

 篠山城は、大坂城(大阪市)にこもる淀殿、秀頼(ひでより)母子を包囲する一環として、普請(ふしん)奉行には池田輝政(てるまさ)。縄張は藤堂高虎(とうどう・たかとら)が担当した。豊臣恩顧の福島正則、加藤清正といった西国15カ国23大名に夫役を命じ、総勢8万人にも及ぶ人員が動員され、天下普請により、わずか1年足らずで完成する。

 本丸と二ノ丸はすべて高石垣で囲まれ、その外側に三ノ丸と堀が巡り、3つの角馬出(かくうまで=四角形の防御土塁)で虎口(こぐち=出口)を固めていた。近世の城郭で、すべての虎口に馬出が設けられているのは篠山城だけだ。

 また三ノ丸は、堀幅を含めて約400メートル、梯格式(ていかくしき)に縄張されている本丸と二ノ丸を合わせると約100メートルであり、三ノ丸の面積は本丸と二ノ丸とを合わせた面積よりも際立って広い。

 天守台は築かれたが、家康の腹心であった本多正信(まさのぶ)が、「豊臣氏を刺激しすぎる(目立ちすぎる)」と提言したため、天守は築かれることはなかった。もし天守が築かれていたら、天守台の規模から想像して、相当立派な天守が築かれていたに違いない。

 

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