清洲城 桶狭間の合戦で信長が出陣…後に「清洲会議」の舞台 (1/2ページ)

★清洲城

2017.03.05

清洲城
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 清洲城(愛知県清須市)は応永12(1405)年、尾張国(同県西部)の守護職、斯波義重(しば・よししげ)によって、守護所であった下津城(同県稲沢市)の別郭(べつくるわ)として建てられたのが始まり。

 文明8(1476)年、戦乱により下津城が焼失すると、同10(78)年に守護所が清洲に移転し、尾張国の中心地となる。鎌倉街道と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所として清洲は、約200年にわたり尾張国の政治・経済の中心として繁栄する。

 清州城はその後、尾張下四郡を支配する守護代、織田氏の居城となる。信長の時代に城郭が拡張され、約10年間居城とする。永禄3(1560)年の桶狭間(おけはざま)の合戦には、清洲城から出陣し、今川義元(よしもと)を討ち取って勝利する。

 天正10(1582)年、本能寺の変で、信長が横死すると、織田氏の家督相続、遺領問題を決める「清洲会議」の舞台ともなった。「清洲会議」は戦国ドラマでもたびたび登場するシーンであり、平成25(2013)年には、三谷幸喜の小説「清洲会議」が映画化されている。

 その後、織田氏から豊臣秀次、福島正則と城主が代わり、関ヶ原の合戦では、徳川方(東軍)の最前線の城として重要な軍事拠点となる。

 

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