丸亀城 石垣は見ほれてしまうほどの曲線美、造った名工は怒りを買い惨殺 (1/2ページ)

★丸亀城(下)

2017.03.19

丸亀城
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 寛永18(1641)年、讃岐国(香川県)は東西に分割された。西讃岐に5万3000石で入封した山崎家治(いえはる)は、もとは近江国(滋賀県)の六角氏家臣で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と主君を替えて戦国時代を生き抜いてきた一族である。

 近江国には穴太衆(あのうしゅう)など優秀な石垣技術者が多く、彼らを配下に置いた家治は、丸亀城(香川県丸亀市)に山麓から山頂まで3段にわたる石垣を築かせた。その高さは計50メートルに達し、特に二ノ丸の21メートルの石垣は、見ほれてしまうほど優美な曲線美で、「扇の勾配」と呼ばれた。丸亀城の見どころの1つになっている。

 これらの石垣を造ったのは、名人石工として伝えられる羽坂重三郎だが、重三郎は石垣の完成後、家治の怒りを買って惨殺されたという伝説が残っている。

 山崎氏は3代藩主、治頼(はるより)に跡継ぎがないまま没したため、お家断絶となった。万治元(1658)年、播磨(はりま)国龍野(兵庫県たつの市)から6万石で京極高和(きょうごく・たかかず)が入封した。その後、7代世襲して明治維新を迎えた。

 歴代藩主の中でも、6代藩主、高朗(たかあきら)は英名の名が高く、学問を好み、琴峰と号して詩文をよくし、詩集『琴峰詩集』を残している。西讃岐の地誌として名高い『西讃府志』61巻も高朗の時代に編纂(へんさん)されている。

 

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