浜松城 家康飛躍の「出世城」、徳川治世下の幕府重職につく登竜門 (1/2ページ)

★浜松城

2017.04.02

浜松城
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 浜松城(静岡県浜松市)は、天竜川下流の西岸、三方ケ原台地南東の河岸段丘に占地する平山城で、江戸時代最盛期に広範囲な城域を有していた。現在は、天守郭と本丸部分の400年の風雪に耐えた野面(のづら)積の石垣だけが残り、天守郭の北寄りに、高さ5・5メートルの石垣の上に3層3階の天守が建つ。

 浜松城は永正年間(1504〜20)に、今川氏の支城として築かれたのが始まり。当初は「引馬城」と称したが、「馬を引く」は敗北につながり縁起が悪いため、元亀元(1570)年、徳川家康の入城とともに「浜松城」に改められた。

 以後、家康は29歳から45歳まで浜松城で過ごした。この間、姉川、三方ケ原、長篠、小牧・長久手といった合戦をくぐり抜け、三河国(愛知県東部)、遠江・駿河国(静岡県)、甲斐国(山梨県)、信濃国(長野県)の5カ国を領有する東海の覇者へと成長した。

 その後、家康は天正14(1586)年に本拠を駿府城(静岡市)に移す。だが、天正18(90)年、小田原の北条氏が滅亡すると、豊臣秀吉の命令で関東(江戸)に移封となる。東海道筋には豊臣恩顧の有力大名が配置された。浜松城には堀尾吉晴(よしはる)が12万石で入城し、近世城郭としての体裁を整えた。

 慶長5(1600)年の関ケ原の合戦以後は、浜松城は徳川譜代大名の居城となった。石高は、おおむね5万石前後で、松平(大給、本庄、大河内)、水野、高力、太田、青山氏などが在城し、井上氏になって明治維新を迎えた。

 

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