2月22日は、韓国が不法占拠している島根県・竹島(韓国名・独島)の返還を求める「竹島の日」だった。そこで、韓国語版ウィキペディアで、「独島の歴史」(2015年2月3日更新、原文はハングル)という項目を読んでみた。
そこに出ていたことは、「(日本海に浮かぶ韓国の)鬱陵(ウルルン)島から、かすかに(独島が)見えたはずだから“わが領土”」という論法でしかない。この論法でいけば、長崎県・対馬からは釜山が明瞭に見えるから、半島南部は間違いなく日本領−となる。
「4世紀ごろに作られた新羅様式の土器が鬱陵島で発見された。これは鬱陵島住民たちが新羅と交流していたことを示す。鬱陵島の人々は漁業を主にしたし、周辺に豊かな漁場を保有した。当時、鬱陵島の人々はこの島(=独島)が見えるので、この島の存在が分かっていたであろうと推定される」
「こう推定してみるとき、鬱陵島に住んでいた居住民が誰より先にこの島を見つけたことが分かると韓国学者は主張する」
韓国語版ウィキペディアは、こう始まる。
のっけから「…と推定される」「こう推定してみるとき…」では、韓国の民族派も何とも心もとないのではあるまいか。
韓国語版ウィキペディアの記述は、新羅の武将、異斯夫(イサブ)が于山(ウサン)国(鬱陵島)を征服した話に飛ぶ。『三国史記』(朝鮮半島に残る最古の正史)の「新羅本紀」の引用だ。
『三国史記』には、新羅の基礎を築いた4代目の王が日本列島から流れてきた人物だったとの記述がある。そんなこともあり、韓国の民族派は『三国史記』を否定している。しかし、他に史料がないからだろう、「都合の良い所だけ“つまみ食い”」しているのだ。