「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前ではないのか、何回しても関係ない」(と強調した)。
私の韓国語理解では、後段の「何回しても関係ない」とは、「これまでに何回謝罪したかなんて問題ではない」というニュアンスであり、前段の「100回しても当たり前」を補っている。つまり、永遠に謝り続けろと言っているのだ。
つい最近までの流れを見れば、以下のようになる。
▽韓国「謝罪しろ」
▽日本「すでに謝罪した」
▽韓国「していない。謝罪しろ」
▽日本「国交交渉当時の椎名悦三郎外相も…全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に対しても…金泳三(キム・ヨンサム)大統領に対しても…村山談話でも…」
実際には、韓国人記者との懇談の席では「コウモリ外交=日和見外交」批判論議に続き、米国首脳部に台頭する「韓国疲労論」をめぐるやりとりがあったのだろう。ここで「何回しても関係ない」「加害者というものは…」が出たのだ。
「加害者と被害者という歴史的な立場は1000年の歴史が流れても変わらない」(朴大統領)、「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前」(高官)−見事な対句をなすではないか。が、日本人からすると“もう付き合い切れない人たち”としかならないだろう。
■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。