先週は、巷間(こうかん)言われている「習近平国家主席vs李克強首相の対立」は対等の権力闘争ではなく、習氏が権力を完全支配するための一つの過程ではないかとの見方を紹介した。
背景にあるのは、「習近平」という人物の危機感であろう。その危機感の答えとして選択した“超ポピュリズム”という政治スタイルである。
俗に「ゾウから降りてアリに乗った」と表現される習氏の選択は、中南海における自身のポジションを絶対的なものとする一方、大衆という実態の見えない“空気”を飽きさせないための仕掛けを次々と世に送り出さなければならないとの宿命を背負っているともいえるのだろう。
このことは、実は米国に見られるトランプ現象にも似ている。例えばトランプ陣営が次々に過激な発言を繰り出し続けていることにも共通点を見いだすことはできるのだ。
先ごろ当選したフィリピンのドゥテルテ氏も、欧州の先進各国で躍進し続ける極右政党にも同じ傾向が見られる。
こうした“空気”を醸成している人々の間にあるのは既存の政治エリートに対する否定だ。
既存の権威への挑戦は、いま民意を背景に世界的な盛り上がりを見せている。その一方で、中国においてそれは民意を先取りする形で習氏が人工的に仕掛けたといっても過言ではないのだろう。
党中央総書記に就任した直後から習氏は従来“タブー”とされてきた壁に果敢に挑み続けた。