中国が国連の多数派工作で利用したのがアルバニアだった。アルバニアなどは同年7月、中国の代表権回復と台湾追放を求める決議案を提出。これに対抗する形で米国などは中台双方に議席を与える「二重代表制決議案」と、台湾追放は3分の2以上の多数決で決定する「追放反対重要問題決議案」を提出した。これには中国に安全保障理事会常任理事国の席を与えることも含まれていた。
10月25日の国連総会審議で、追放反対重要問題決議案は否決され、アルバニア決議案が賛成多数で採択された。台湾の代表はアルバニア決議案の表決に先立ち、総会議場から退場、国連から脱退した。
中国代表権問題は“ポスト佐藤”をにらんだ政局に利用された。10月29日作成の報告書は「中国問題は、内外情勢の変化に伴う国民の不安感と不満のはけ口として利用され、長期政権化した佐藤内閣の倒閣運動につながっている」と指摘。中国の国連参加と台湾の議席を守る佐藤内閣の方針は「至極当然」であり、「外交的には、与えられた状況のもとでの最善の方策であった」と総括された。
日本政府は中国側との接触を急いだが、中国は、台湾と結びつきが強い佐藤政権と日中国交正常化を実現するつもりはなかった。
■ニクソン・ショック 米国のニクソン大統領が1971(昭和46)年に電撃的に発表した2つの宣言。一つは7月に発表された電撃訪中で、翌72年2月、毛沢東主席と会談して米中の関係改善をうたった「上海コミュニケ」を発表した。もう一方は71年8月に発表されたドルと金の兌換(だかん)停止。いずれも世界に大きな衝撃を与えた。
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