【SPORTS BAR】“ドラフト圏外”から名選手になった男たち 江本孟紀氏、西本聖氏、大野豊氏…

巨人の西本聖はドラフト外からはい上がり、1981年の日本シリーズでMVPに輝いた

 その瞬間をドキドキしながら見た。先週開催されたプロ野球ドラフト会議です。注目の早実・清宮幸太郎内野手には7球団が入札、見事日本ハムが引き当てた。

 少々下世話になりますが、阪神や巨人などの人気球団に入っていたら半端ない重圧がかかるだろう。その点、選手育成に定評があり、将来のメジャー行きを容認するなど『選手ファースト』の日本ハムは、ベストな球団かもしれない…と勝手に思っている。

 で、清宮の抱負。「これからが大切。“清宮なくしてチームはない”と言ってもらえるような貢献をしたい」。18歳、実に立派な言葉ですね。

 “ドラ1”だからといって、将来が開けているわけではない。プロは結果を残してナンボの実力の世界である。過去、どれだけ多くのドラ1が寂しく消えていったことか…。ということは、下位指名だからといって、何ら悲観することもない。

 たとえば…。今季限りで阪神の2軍監督を辞したミスター・タイガースと呼ばれた掛布雅之は“ドラ6”。コネ?で阪神秋季練習に参加させてもらい、やっと契約にこぎつけた。で、努力で資質を開花させて1年目から1軍に定着した。

 その後、本塁打王に輝くなどチームの屋台骨を支えたのです。

 大リーグにはこんな例もある。エンゼルスのアルバート・プホルス、37歳。プロ入りはカージナルスのドラフト13巡目。全体の402番目だったが、入団2年目の2001年から10年連続で3割、30本塁打、100打点以上をマークするなどメジャーを代表する打者になった。

 今季の年俸は2600万ドル(約29億6000万円)。入団時の契約金はわずか6万ドルだった。

 かつて日本にはドラフト外制度(1991年に廃止)があった。ドラフトで漏れた選手を自由に獲得できるシステム。そんな“圏外”からプロ入りして実績を残した選手も多い。たとえば…。

 江本孟紀(南海)、加藤初(太平洋)、西本聖(巨人)、大野豊(広島)、鹿取義隆(巨人)、秋山幸二(西武)、石井琢朗(横浜)…。

 “雑草塊”だった西本聖は言った。

 「1つ年上に江川(卓)さんがいた。“エリートなんかに負けない”って。その気持ちは強かったです」。通算165勝で、江川(135勝)超えを果たした。

 今年のドラフトは育成ドラフトも含めて114選手。いまは横一線、これからが勝負!! ン? 言われなくてもわかってるって!?(産経新聞特別記者・清水満)