【そういうことだろ~】“おっさん自動車”事件で発奮した92年天皇杯決勝 今後も決勝はぜひ元日で!

横浜はこの2014年以来の天皇杯制覇を狙う。中央で天皇杯を掲げるのが中村俊輔

 97回目を迎えるサッカー天皇杯決勝(2018年1月1日午後2時40分開始=埼スタ)の組み合わせが、C大阪-J1横浜に決まった。決勝での対戦は1983年度のヤンマー(現C大阪)-日産自動車(現横浜)以来。前回対戦当時、日産の主将として出場していた夕刊フジ評論家、清水秀彦氏(63)に聞く。(聞き手・久保武司)

 --久しぶりですね。横浜がC大阪と天皇杯決勝戦で相まみえるのは

 清水「83年の天皇杯といえば、日産自動車が初優勝した年。オレが主将だった」

 --優勝以外に忘れられないことがあった   「あの釜本(邦茂)さんが現役引退を決めたシーズンで、最後に途中交代で出場してきた。今でもはっきり覚えている」

 --横浜は天皇杯で過去7回優勝(歴代2位)。清水さんは主将、コーチ、監督として計6回に関わっている

 「まぁ、それは置いといて(笑)、俺たちが現役でやっていたときの天皇杯は、本当に特別な大会だったんだよ」

 --なぜか

 「元日に、しかもかつては国立競技場で決勝戦が行われたから。元日に日本一を決める大きな試合ができるなんて、サッカーでは世界中を見渡しても日本だけじゃない? 優勝するとレッドカーペットの上を歩いて表彰台に上がる。本当に憧れた。コーチや監督のときは下で見ていたけど、選手時代に天皇杯で勝って上る表彰台からの眺めは最高だった」

 --元日までサッカーかよ…という気持ちはなかったですか?

 「ない! 勝ち進んでいくにつれて、みんな熱くなっていくんだよ。どの年もそうだった」

 --“おっさん自動車事件”もあった

 「あった、あった! 俺が監督だった92年。決勝で読売クラブ(現J2東京V)と対戦した。当時は(木村)和司や(水沼)貴史が頑張っていて、向こうのある選手から『ベテランぞろいの“おっさん(日産)自動車”になんか負けられない』って言われてさ。それで一気にモチベーションが上がった。4-1とコテンパンにしてやったよ(笑)。今後も天皇杯決勝はぜひ元日で続けてもらいたいね」

 ■清水秀彦(しみず・ひでひこ) 1954年11月4日、東京都生まれ。ポジションはMF。浦和市立高、法大、日産サッカー部(現J1横浜)で日本一を経験。93年のJリーグ開幕戦で横浜Mを率い勝利を収めたのを皮切りに、Jリーグ4クラブで監督を務め通算134勝を達成。