【2・9平昌五輪開幕 日本代表マル秘ストーリー】小平奈緒の選手生命を救った信州の有名病院 頭を悩ませた理事長が出した答え

小平は日本選手団として結団式・壮行会に出席した

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 自身3度目の五輪となる平昌で日本選手団主将を務め、女子スピードスケートの500メートルと1000メートルで金メダル候補に挙がる小平奈緒(31)に、衝撃が走った。信州大時代の同級生でソチ五輪でともに戦った住吉都さん(享年30)が、20日に長野市内の自室で死去していたことが判明したのだ。自身は大学卒業時、内定していた企業への入社が白紙となり、選手生命の危機に陥ったことがある。それを救ったのが、現在の所属先の相澤病院(長野県松本市)だ。(飯田絵美)

 相澤病院は小説『神様のカルテ』(夏川草介著)のモデルとなり、櫻井翔や宮崎あおいが出演して映画化され話題を呼んだ名物医院だ。

 2009年の初め、同病院の相澤孝夫理事長(70)は、知り合いから相談を受けて頭を悩ませていた。

 「アスリートが、他の会社に就職が決まっていたんだけど、事情があって行けなくなってしまったそうなんだ」

 そのアスリートこそ、小平だった。当時の日本経済は低迷し、学生は就職難。信州大教育学部の学生だった小平も、内定を得ていた企業への入社が白紙になった。

 当時同病院の事務局長で、現在は社会医療法人財団・慈泉会の特命顧問を務める塚本建三さん(77)が「アスリートの採用なんて、これまで考えたこともなかった。病院で採用しなきゃいけない理由もない」とやんわりと返すと、相澤理事長はこう反論した。

 「だけど、(相談者から)『困った』といわれた。どうするんだい」

 その瞬間、塚本さんは、相澤理事長の意図を読み取った。

 「相澤先生は“義を見てせざるは…”という精神を持つ方です。『困っている人をなんとか助けなきゃ』と初めから思っていたのでしょう」

 当時、同病院の職員はパートを含めて約1400人。「1400分の1だったら、なんとかできるのではないですか。先生がやりたいなら私は賛成ですよ」と塚本さんが賛成し、相澤病院は見も知らぬ女子大生を救うことになった。

 「最初の面接は、確か2009年の3月末でした」。当時人事部長で、現在は相澤健康センターの副センター長の大久保富美江さん(67)が振り返る。本来の就職活動の時期からは大きく遅れていた。

 「だから、彼女の同期100人は通常通り4月1日付で入社しましたが、彼女だけは16日付なのです」

 「初対面では清楚な人、という印象を受けました。自己主張するタイプではなく、ちょっと控えめ。それでいて、彼女のトレードマークである四つ葉のクローバーのように、周りを幸せな気持ちにする人です」と大久保さんはいう。

 小平の人柄は三十路のいまも変わらず、便箋などに四つ葉のクローバーのイラストが入ったものを愛用。自身のウェブサイトの名前は『クローバーリンク』だ。

 相澤病院にはスケート部があるわけではなく、所属アスリートも小平ただ1人。小平は電車で1時間ほどかかる長野市のスケートリンク「エムウェーブ」を拠点に、大学時代から師事する結城匡啓コーチ(52)の指導を受けている。

 当初は、午前中に2時間ほど病院で働き、長野市へ移動して午後から練習するプランもあった。

 しかし、「そんな生活をしていたら両方ともダメになる。『(2010年の)バンクーバー五輪まで競技に専念してもらおうよ』と決めました。もし目標がかなわなかったら、うちで働いてくれればいい」とスポンサーとして生活を支える形を取っている。

 そのサポートに、小平も恩返し。バンクーバーで五輪初出場を果たし、女子団体追い抜きで銀メダルを獲得した。帰国後、メダルを持って病棟を回ったという。病気で動けない患者やその家族は、メダリストの訪問を心から喜んだ。

 人工呼吸器を付けた患者に、「小平さんが来てくれたよ。頑張らなくちゃね」と声を弾ませて話しかける家族もいた。「ご家族も患者さまご自身も『力をもらった』と。いまも小平さんの頑張りから、元気や勇気をもらっている患者さんがいっぱいいます」と大久保さんは証言する。

 病院主催の壮行会にはスタッフ200人が参加した。相澤理事長は、小平の両親と一緒にバンクーバー五輪とソチ五輪を現地で応援した。平昌五輪では、病院関係者19人と小平の親族30人が、計49人の応援団として駆けつける。

 小平は、報道陣から五輪への思いを漢字一文字で表現してと注文され、『輪』を選んだ。

 「応援してくれる人、今まで支えてくれた人、(テレビ)画面から応援してくれる人…みんながひとつになるのが五輪」

 女子大生の頃、面識もない人が、就職先=居場所を作ってくれた。だから、人は繋がっていると信じられる。さまざまな人の思いを胸に、3度目の舞台がいま始まる。