【実録 槙野智章】「イエローもらったからこそ逆にチャンス」 ACLで元ブラジル代表の屈強フッキと壮絶死闘

ACL準決勝第2戦で上海上港のフッキ(背番号10)と競り合う槙野

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 「あまり行くなよ」

 DF槙野智章(30)はくしくも同じ埼玉スタジアムで、同じ状況でハーフタイムを迎え、ロッカールームでチームメートたちから同じ言葉をかけられた。

 昨年のACL(アジアサッカー連盟チャンピオンズリーグ)は、上海上港(中国)との準決勝も、アル・ヒラル(サウジアラビア)との決勝も、いずれもアウェーの第1戦は1-1で引き分け、ホームでの第2戦の前半に警告を受けた。退場にならないようにと自重を促されたわけだが、槙野は逆に燃えた。

 「イエローカードをもらったからこそ、僕にとってはチャンスだ。不利な状況だからこそ、前に出てボールを奪う守備をどんどん貫こうと思っていました。僕が引いてしまえば相手の思うツボですから。自分たちのゴールから相手を遠ざける、前を向かせない、そして危険な位置ではファウルをしない。よく言われるデュエル(1対1の競り合い)の部分で、狙い通りにできたと思います」

 左サイドバックに入った上海戦では、筋骨隆々の肉体を誇る元ブラジル代表FWフッキと壮絶な死闘を展開。初戦でゴールされた借りを無得点に封じることで返した。

 「初戦は食いつきすぎて、フッキ選手に何度か入れ替わられてしまう場面があった。それを参考にして、彼を自由にプレーさせないために、どれだけアプローチすればヘッドダウンするのかを、1センチから数ミリの部分でずっと研究してきた。彼が僕のことを嫌がり、ゴールから遠い場所でボールを受けたときは、全く怖さは感じませんでした」

 センターバックに入った決勝では、自分よりも先に警告を受けたDF宇賀神友弥に「引くなよ」とゲキを飛ばし続けた。

 屈強なフィジカル。入念な準備。旺盛な闘争心と、研ぎ澄まされた集中力の絶妙なハーモニー。30歳にして覚醒した感のある槙野が、浦和レッズの最終ラインでひときわ存在感を放ち続けた。

 「この数カ月、自分の中でも大きな変化があった。いろいろな人たちを残念な気持ちにさせたことに対する、責任感のようなものがあった。他チームの選手だけでなく、普段は僕たちに負けてほしいと思っているかもしれない、他チームのファンやサポーターの方々からも『勝ってくれ』とエールをもらっていた。どんなにキツくても『まだ倒れないのだから、もっと走れるだろう』と自分に言い聞かせていた」

 準決勝も決勝も、第2戦はいずれも1-0で制し、浦和はアジアの頂点に立った。2007年以来の快挙だった。

 「12年に浦和の一員になってから、ファンやサポーターの方々から『昔の浦和は強かった』といわれる度に、正直に言えば『昔は』という言葉にすごく引っかかるものがあった。大きなタイトルを手にできたことで少しでも皆さんのイメージが変わればと思う」

 充実感を漂わせる槙野の姿に、目を細める人物がいた。日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督である。(スポーツライター・藤江直人)=つづく

 ■槙野智章(まきの・ともあき) 1987年5月11日生まれ。広島市出身。2000年に13歳でサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団し、3年目にセンターバックに定着。03年にユースチーム、06年にトップチームに昇格。09年に日本代表初招集。10年末にドイツのFCケルンに移籍。12年に広島時代の恩師ペトロビッチ氏が監督に就任した浦和へ移籍。18年1月20日、女優の高梨臨と入籍する予定であることを発表