【2・9平昌五輪開幕 日本代表マル秘ストーリー】高校時代もレジェンドだった葛西紀明 同級生が明かす伝説の「たらこ唇」事件

記者会見で金メダル獲得を目標に掲げた葛西

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 平昌で冬季五輪史上最多の8大会連続出場を果たす、スキージャンプ男子の葛西紀明(土屋ホーム)。45歳にしてトップアスリートとして戦い続ける姿に、同世代のサラリーマンから尊敬と共感のこもった熱視線が送られている。現役にしてレジェンドと呼ばれる男は、実は東海大四高(現東海大札幌高)時代から数々の“超マイペース”伝説の持ち主だった。当時のクラスメートが明かす。(飯田絵美)

 平昌五輪に臨むスキージャンプ男子の日本代表は1日、札幌市内で記者会見。葛西は「これまでの7大会同様、金メダルを取りたいという気持ちで行く」と力強かった。

 19歳で1992年アルベールビル五輪に初出場したのを皮切りに、リレハンメル、長野、ソルトレークシティー、トリノ、バンクーバー、ソチ五輪に出場。そして平昌へ向かう。

 所属の土屋ホームではスキー部の選手兼監督を務め、会社の組織上は部長。“スーパー45歳”はかつて、どんな高校生だったのだろう。

 東海大四高で3年間同じクラスに在籍し、現在は東京・二子玉川のイタリアンレストラン「トラットリア エテルニータ」のオーナーシェフ、五十嵐誠さん(45)に聞いた。

 「僕らの学年は11クラスもあったんですが、その内スポーツ特待クラスは2組。葛西はジャンプ、僕は陸上で推薦入学しました。あの頃から、僕は彼を天才だと思っていました」

 「高校生はまだ子供。特に男子は仲間とワーワー騒いだりするけど、彼はそういうグループには入りませんでした。先生から叱られたことも一切なかった。自分を強く主張したりはしない。けれど、自分がやりたくないことは誘われてもやらない。すごく大人の雰囲気を持っていました。そして、自分がふざけたいときはふざける。誰も気づいていないところで、自分だけで面白いことをやっちゃうちゃめっ気もありました」

 そんな超マイペースぶりを象徴する事件があった。

 「教室では僕の左斜め後ろが葛西の席。あるとき、何気なく振り向いたら、葛西がどこから調達したのか分からないけど、ビニール製のたらこ唇のおもちゃを口に付けたまま、まじめな顔で授業を聞いているんですよ。『えっ?!』と驚いていたら、葛西と目が合った。すると、彼はぐいっと唇を突き出してくる。『あいつ、何やっているんだよ』と思いましたよ。気づいていない生徒は静かに授業を聞いているから、笑いをこらえるのに必死でした」

 「実は、走らせると長距離も速かったんです。運動会で1500メートルに出場したとき、ぶっちぎりで1位になった。サッカー部員などを含め、1学年11クラスから選抜された生徒たちが出場したのに、葛西がぶっちぎりの1位。涼しい顔でゴールしていました」

 これには陸上部に所属していた五十嵐さんも仰天した。

 「体力がハンパない。瞬発力があって、持久力もあった。もし陸上で全国大会に出ていたら、かなりいいタイムで走ったんじゃないかな。いま45歳で瞬発系スポーツをトップレベルでやれるのも、運動能力がずば抜けているからでしょう」

 「彼は高校1年から史上最年少(当時)でW杯に出場。頻繁に海外遠征にも行っていました。でも、それをひけらかすような人間ではなかった。マスコミは当時のスター選手、ニッカネンにちなんで“和製ニッカネン”と呼んでいましたが、彼のことを特別扱いするクラスメートはいませんでした」

 葛西は長野五輪では団体メンバーに入れず、悔しい思いもした。五十嵐さんも残念だったというが、逆にそのとき、葛西のすごさが見えた。

 「低迷し注目されないときも、レジェンドと呼ばれて日の目を浴びるようになっても、気持ちの浮き沈みがない。それが葛西。彼はいい意味で、常にマイペース。高校の頃から変わらない。そういう男だからこそ、ここまでやってこれたのだと思います」

 そんなアスリート人生に、勇気をもらう同世代のサラリーマンも少なくない。五十嵐さんは「45歳は普通に生活していても足や腰が痛い年齢。とにかくけがなく試合を終えて、最後は笑顔を見たい。いつも笑っている葛西が僕の中にいるから」とうなずく。

 五十嵐さんは年に1度イタリアを訪れ、こだわりのワインや食材を集める。同級生の葛西も昨年5月、世界的なソムリエ、田崎真也氏から日本ソムリエ協会「ソムリエ・ドヌール(名誉ソムリエ)」の称号を受けたほどのワイン通だ。

 「今度、五十嵐の店に行ってみたいですね」という葛西に、五十嵐さんは「欧州を転戦している葛西は、雪が降るエリアのワインを飲む機会が多いのでは? 雪が降らないシチリアとか、南国のワインもおいしいぜ、と教えたい」と目を細めた。レジェンドが同級生と美酒を酌み交わす日が待ち遠しい。