【桂春蝶の蝶々発止。】グリッドガール「廃止」は行き過ぎだ、女性の生き場所奪うことに

会場に華を添えるグリッドガールたち(AP)

 女権拡張論者、いわゆる「フェミニスト」の主張はとても大切です。男女は絶対に「平等・同権」でなくてはなりません。だが、人種や性別などの違いによる差別をなくそうとする「ポリティカル・コレクトネス」(政治的公正さ)も行き過ぎれば、逆に女性の生き場所を奪ってしまうことになりかねません。

 それは本当に「女性のため」と言えるのでしょうか?

 先日、F1でプラカードなどを掲げてきた「グリッドガール」が廃止されるという報道を目にしました。「現代の社会規範にそぐわない」という理由だそうです。フェミニストが、グリッドガールや、格闘技のラウンドガール、ミスコンなどを「女性蔑視だ」と主張してきた活動が、ジワジワ効いてきたんでしょうか?

 しかし、私は単純に、どんな仕事でも「やりたい人に任せたらええやん」と思うんですよ。仕事に誇りを持ち、人生をかけ、人々をひきつけること。それを邪魔することは、誰にもできないのではないですか?

 F1のグリッドガールを5回務めたレベッカ・クーパーさんは、次のように話していました。

 「私たちは、自分たちが愛し、誇りを持っていた仕事を辞めさせられた。ポリティカル・コレクトネスは行き過ぎています。私たちが仕事を辞めれば、他の仕事はどうなりますか? チアガールもダメですか? 女性シンガーはステージ上で何を着るかを決められ、『女性モデルは雑誌に出てはいけない』と言われる。私は自分が着るものを選ぶ権利、愛する仕事を続ける権利のために戦ってゆきます」

 まったく見事な、ぐうの音も出ない正論です。

 フェミニストを始め、人権を守ろうとする人々は、自分の行動を少し客観的に見ないといけない気がします。

 以前、ミゼットプロレス(=低身長症の人々によるプロレス)が、障害者を笑うことを問題視する人権団体に非難され、テレビ放送が打ち切られることがありました。

 ミゼットレスラーの皆さんは、後にこんな言葉を残しています。

 「自分たちが唯一輝ける場所がリングなのに、人権団体がうるさいからプロレスができなくなった。生きがいも仕事も失った。自分たちは人前に出てはいけない人間なのですか? 自分たちは笑われているのではありません。笑わせているのです。大きい人は許されて、小さい人はダメなのでしょうか? 人権団体がわれわれに職を探してくれることは、決してありませんでした」

 私は、この言葉が胸に突き刺さるのです。

 本当の「人権保護」とは、人間一人ひとりの幸せを考え、その心に寄り添うことだと思われませんか?

 ■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。