【ダッグアウトの裏側】野球とアイホでドラフト指名された男 トム・グラビン氏「どちらを選ぶか18歳には大きな決断」

トム・グラビン氏=2008年(リョウ薮下撮影)

 平昌五輪がメダルラッシュに沸いている。

 筆者が取材した冬季五輪は1998年の長野大会と2010年のバンクーバー大会。長野の開幕前には米国に派遣され、五輪初参加となる北米アイスホッケーリーグ、NHLのスーパースターをインタビューした。

 当時から米大リーグの“アイスホッケー通”として知られていたのが、殿堂入り投手のトム・グラビン氏(51)。ブレーブスとメッツで通算305勝を挙げた左腕は冬季スポーツも盛んなボストン郊外で育った。

 高校時代に野球とアメフットまたはバスケットをかけ持ちでプレーしていた大リーガーは珍しくないが、グラビン氏はアイスホッケーとの二刀流。1984年にNHLのキングズから4巡目(全体69位)、大リーグのブレーブスから2巡目(同47位)でドラフト指名された。

 「どちらを選ぶか18歳には大きな決断だった。当時は野球の方が平均年俸は高かったし、選手寿命も長かった。最近のNHLは制度やルールの変更で、どちらも追いついてきたけどね。左利きの利点も野球の方が生かせると思った」とグラビン氏は2014年の殿堂入り直前に行われたホッケーサイトのインタビューに答えている。頭脳的な投球を誇った現役時代同様に、若い頃から冷静な判断が下せたようだ。

 「野球でこれだけの実績を残すことができたから後悔はしていないが、(NHLで)自分より指名が後で殿堂入り選手もいる。ホッケーを選んでいたら、どんな人生になっていたか分からない」

 グラビン氏のドラフト指名から4年後、キングズには「史上最高のホッケー選手」と称されるウェイン・グレツキーがオイラーズから移籍した。グラビン氏がホッケーを選んでチームメートになっていれば、NHLの歴史が大きく変わっていたかもしれない。もちろんブレーブスの地区14連覇もなかっただろう。

 ■田代学(たしろ・まなぶ) サンケイスポーツ編集局次長。1991年入社。プロ野球や五輪担当などを経て、2001年から13年11月まで米国駐在の大リーグ担当キャップ。全米野球記者協会の理事や、13年ワールドシリーズの公式記録員を日本人記者で初めて務めた。米国での愛称は「ガク」。