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【貴騒動を斬る】四面楚歌の中、大阪入り…厳しさを増す状況を一気にひっくり返す逆転の秘策は?

1988年春場所で初土俵を踏み、勝ち名乗りを受けた貴花田(当時)

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 春場所(11日初日=エディオンアリーナ大阪)が近づいている。貴乃花親方も、これまでさまざまな思いで大阪の春を過ごしてきた。

 いまから30年前の昭和63年春には、初々しい丸刈りの新弟子として大阪に乗り込んだ。のちに3横綱1大関を輩出し“花のロクサン組”と呼ばれた同期は95人。その中の目玉が人気大関貴ノ花の息子で若花田、貴花田というしこ名の“若貴兄弟”だった。

 7年後に横綱となる貴乃花親方も、当時は何もかも不慣れ。新弟子の履物は下駄だ。貴乃花親方は最初の相撲を取り終え、宿舎へ帰る近鉄難波駅の階段で滑って転び、左足の後ろの歯を欠いてしまった。立ち上がった貴乃花親方はその一本歯となった下駄をつま先に引っ掛け、兄の後ろをソロリソロリと帰っていったのを昨日のことのように思い出す。

 春場所の最高責任者である『春場所担当部長』を仰せつかったのは理事2期目の平成24年のことだった。「やるからには15日間すべて満員御礼を目指す。無理だと思われることでも可能にしていきたい」と熱く抱負を語り、大阪に乗り込んだのは2月2日。このとき新幹線の中から知人宛てに次のようなメールを送っている。

 「15(歳)の春を思い出して、新弟子修行のつもりで行ってきます」

 果たして今年はどんな気持ちで宿舎のある京都に入ったのだろうか。理事選に敗れ四面楚歌の貴乃花親方には、幸いなことに9人の弟子がいる。そのうち4人が十両以上の関取だ。

 貴乃花親方が先代から部屋を継承したのは14年前。「10年かかって関取を1人育てれば合格点」といわれる中、14年で4人もの関取を誕生させたのは“凄腕”といえる。

 今場所は、暴行事件の被害者となった貴ノ岩の再起という難事も抱えている。下阪する胸に去来していたのはそんな弟子たちのことか。いやいや、厳しさを増す状況を一気にひっくり返す“秘策”を練っていたのかもしれない。(大見信昭)