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“被害者”貴ノ岩、波瀾万丈すぎる人生 相次いだ悲劇、相撲界では「異色」の存在 (2/3ページ)

 貴乃花親方は、当時一大ブームだったモンゴル人のスカウトには興味を示していなかったが、黙々と稽古に励む貴ノ岩を認め、高校卒業と同時に入門させたのである。

 貴乃花部屋の玄関には、師匠の筆による訓示が掲げられている。『(1)力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事(2)人の道に外れないよう自身を鍛え勝負に備える事…』など10カ条。貴乃花部屋の“鉄の結束”を支えている。

 貴ノ岩は2009年に初土俵。毎朝5時に起床して、ランニング5キロ、100メートルダッシュ、縄跳び500回、片足跳び50回、最後は二重跳びを失敗しないで連続50回飛べるまで続けるメニューをこなした。

 そして貴乃花部屋創設8年余にして初の関取になった。このとき貴ノ岩は「もっともっと、親方とおかみさん(元フジテレビアナウンサー・景子さん)に恩返しをする」と誓った。

 しかし、その後、貴ノ岩に3度目の悲劇が訪れる。相撲の投げ技などを教え込み「必ず三役にしたいんです」と話していた、部屋付きの音羽山親方(元大関貴ノ浪)が43歳の若さで急逝。両親に続いて、大事な“コーチ役”を突然失った。

 相次ぐ悲劇のためか、貴ノ岩は相撲記者にめったに口を開かない関取の一人になっていた。

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