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【追悼・星野仙一 鉄拳制裁】山崎武司氏が激白 「体重20キロ落とせ」強制ノルマで本塁打王獲得 教え子の中で「引退しろ」に拒否したのは僕だけ (2/3ページ)

 しかし、無茶をやらされたと思ったこの年、僕は39本塁打を放ち、初タイトル(本塁打王)を獲得したのだから、効果はてきめんだった。

 もともと、前年に初めて2ケタ本塁打(16本)をマークし手応えをつかみかけていたが、同時に何かが足りないと感じていた。39本も打てるとは想像もしていなくて、当時の背番号22と同じ本数を打てたらいいな、という程度だった。いま思えば、星野監督に背中を押してもらったおかげ。プロの厳しさを教えていただいた。

 決して厳しさ一辺倒ではなかった。実はこの年、僕は公式戦開幕直前の3月下旬に脇腹を痛め、どうにもこうにもバットを振れなくなった。意を決して、ナゴヤ球場での練習日にオープン戦の九州遠征回避を申し出た。大目玉を食らうかと思いきや、「おまえが痛いと言ってくるくらいだから、よほどのことなんだろう」と承諾してくれた。「おれ、干されるのかな」とも思ったが、それから1週間練習もせずに休養に努め、滑り込みで開幕に間に合った。よく選手を観察してくれていたと思う。

 もちろん手を上げられたこともある。

 僕のプロ1年目は、星野監督の中日第1次政権(1987-91年)の初年度にあたるが、残念ながら2軍にいることが多く接点は少なかった。

 ただ、秋だったと思うのだが、台湾に遠征して代表チームと親善試合を行ったことがあった。僕は本塁打を放ったが、最後に逆転満塁サヨナラ本塁打を食らって敗れた。当時僕は捕手。星野監督は負け方がよほど気に入らなかったのか、同じ捕手で2歳上の中村武志さんと僕の2人がチームを代表する形でビンタされたのを覚えている。

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