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【追悼・星野仙一 鉄拳制裁】山崎武司氏が激白 「体重20キロ落とせ」強制ノルマで本塁打王獲得 教え子の中で「引退しろ」に拒否したのは僕だけ (3/3ページ)

 オープン戦だろうと親善試合だろうと、負けは負け、ダメなものはダメと徹底していた。ただ、当時の選手はみんな、口には出さなくても内心では「活躍して、このオッサンを見返したる」と考えていた。そういう反骨精神がなければ、星野監督のチームでレギュラーとして生き残ることはできなかった。監督自身、イエスマンなんて大嫌い。「ぶつかって来い」と考えていたと思う。

 楽天監督1年目の2011年も同じユニホームを着て一緒に戦ったが、僕は6月に右手薬指を剥離骨折した影響で不本意な成績に終わり、星野監督から同年限りでの現役引退とコーチ就任を勧告された。

 星野監督は過去にもチームを変革する手法として大幅な“血の入れ替え”を断行したことが何度もあったから、覚悟はしていたが、僕自身にはまだやれる自信があった。仮に楽天を退団することになっても、年俸0円でも、翌年も現役選手として仙台に戻ってきて、東北大震災に見舞われながら声援を送ってくれたファンに恩返しすると心に決めていたから、勧告を拒否し現役として中日に拾ってもらった。

 結果的に星野監督に刃向かう格好になり、以後疎遠になった。僕としては、星野監督に教えていただいた反骨精神を発揮し、我を通した結果だと思っている。星野監督の教え子の中で、「引退しろ」といわれて辞めなかったのは僕だけ。勝手ながら、星野監督も内心理解してくださっていたのではないかと思う。本当にお世話になりました。

 ■山崎武司(やまさき・たけし) 1968年11月7日、愛知県生まれ。愛工大名電高から1986年ドラフト2位で中日入団。96年に本塁打王。2003年にオリックス、05年には楽天に移籍し、07年に本塁打、打点の2冠。12年に中日に復帰し翌年限りで現役引退。通算403本塁打。プロ入り当時は捕手で、後に外野手、内野手、DHを務めた。右投げ右打ち

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