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【秘録 今明かす「あの時」】ファイティング原田、19歳で初王者も地元判定で陥落 盗まれた王座~幻の3階級制覇 (1/2ページ)

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 ボクシング団体があまりなく、世界王者が8人しかいなかった時代。ファイティング原田は2階級制覇を成し遂げ、その名を世界に轟かす。しかし、当時は地元びいきのホームタウン・デシジョン(地元に有利な判定)が露骨だった。原田氏が振り返る。

 伝説の一戦は、1962年10月、蔵前国技館(東京)で行われた。世界フライ級王者の“貴公子”ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦が決まっていた同級1位の矢尾板貞雄が突然引退。売り出し中の原田に挑戦のチャンスが回ってきた。

 「当時オレは19歳。世界ランキングにも入っていなかった(試合直前に10位にランク)。チャンピオンも原田のことなんか知らない。敬意を表して羽田空港まで迎えに行ったとき、握手しようとしたら、『どこの馬の骨』という顔をしている。サンケイ会館(東京)で行われた調印式でもそっぽを向いている。この野郎と思ったね。それで死に物狂いで練習したのよ」

 試合は原田が終始左ジャブで王者を追い込む展開。そして11ラウンド、右ストレートでグラつかせたのをきっかけにコーナーに追い詰め、左右の連打を数えきれないほど浴びせると、王者はロープに腰を落とした。10カウント。新王者誕生に無数の座布団が舞った。

 しかし、3カ月後の63年1月、今度は敵地バンコクで行われたリターンマッチは、信じられない体験の連続だった。

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