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【高校野球 新・名将列伝】2年連続県大会決勝敗退の屈辱から…“光星時代”の到来  (1/2ページ)

★明秀日立・金沢成奉監督(3) 

 金沢成奉(せいほう、51)が26歳で光星学院(現八戸学院光星)の監督になった1995(平成7)年。東北福祉大の先輩でもある前監督の手で、チームは基礎作りを終えていた。前年の夏は青森県大会で準優勝。甲子園は目の前にあった。

 金沢に課せられたのは、当然甲子園出場だった。その自信もあった。「何とか自分の力で選手たちを甲子園に連れていく。それしか考えていなかった」

 就任1年目の夏。優勝候補の筆頭に挙げられたチームは、初戦から5試合、すべて大差をつけて勝ち進んだ。だが、ライバルの青森山田との決勝は2-4の惜敗。そして、翌年の夏も弘前実に敗れ準優勝に終わった。

 2年連続、決勝で敗退。金沢は学校に辞表を提出した。「負けることの悔しさ、勝つことの難しさ、勝負の怖さ…。すべて、あの時に知りました」

 学校側や大学時代の恩師に慰留され翻意。再出発を誓った監督・金沢の快進撃が、ここから始まる。

 その年の秋、新チームを率いて東北大会で初優勝。翌97(同9)年の春に初めての甲子園切符を手にすると、夏はついに決勝で青森山田に大勝し初優勝を飾った。翌年の春も加えて3季連続の甲子園出場は、青森に光星時代の到来を告げた。

 その3度の甲子園は全て初戦敗退。壁を突き破ったのが、2000(同12)年の夏だった。一気に4強入り。青森県勢として31年ぶりの決勝進出こそ逃したが、「青森県の野球が全国で通用することを証明したかった」と語った若き指導者・金沢成奉の名前も知れ渡ることになった。

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