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【福島良一 メジャーの旅】巨人の星のオズマを“英才教育”した男 伝説の名将レッド・シェーンディーンスト氏が死去 (1/2ページ)

 私が初めて大リーグを見たのはちょうど50年前、日米野球でカージナルスが来日したときだった。当時の監督はレッド・シェーンディーンストで、今月6日に殿堂入り野球人として最高齢の95歳で亡くなった。

 1923年、米中西部イリノイ州ジャーマンタウン生まれ。その名の通り、ドイツ人が作った小さな町でドイツ系移民の子として生まれた生粋のドイツ人だ。本名はアルバートだが、生まれつきの赤毛から「レッド」の愛称で親しまれた。

 45年にカージナルスでデビュー。当時は第二次世界大戦末期で選手数を水増ししたが、片腕の大リーガー、ピート・グレイのように1年限りで消えていく選手が多かった。そんな中、長年にわたりオールスター二塁手としての地位を築いた。

 球団史上最大のスター、「ザ・マン」ことスタン・ミュージアルとは無二の親友だった。46年のワールドシリーズ制覇で全米に名を広め、オールスターでも活躍した。

 ところが、56年にジャイアンツへトレードされ、57年にはブレーブスへ移籍。そのときはジョニー・ローガン(元南海)と1、2番、および二遊間コンビを組んでチームの世界一に貢献。のちの本塁打王ハンク・アーロンが4番を打っていた。

 その後、61年に古巣カージナルスに復帰し、63年限りで現役引退。65年にチームの監督に就任し、67年ミュージアルGMとコンビを組んで初年度に世界一に輝いた。翌68年はワールドシリーズ第7戦で連覇の夢が消え、直後に日米野球でやってきた。

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