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崖っぷち圭佑へ「逆境で燃えるのが本田家の男だろ!」 “ビッグマウス”の源流、大叔父・本田大三郎さんがエール (2/3ページ)

 本田家の強靱な肉体と精神力で、瞬く間に五輪代表候補選手になり、1年後には琵琶湖の大会で来日した強豪ドイツ代表を破った。しかし、2度目のピンチがやってくる。

 「極度の貧血と診断され、五輪開催前年(63年)の初めに3カ月間も入院。『五輪代表候補選手』からも、その下の『強化選手』からも落とされました。病の理由は練習のし過ぎ。オーバーワークでした」

 しかし、夢をあきらめるという発想はなかった。ベッドの隅で腹筋、腕立て。病院の栄養管理や増血剤のおかげで、以前より健康状態が上がった。同年4月頃に退院。だが、別の苦しみも待っていた。

 「退院後、周囲がみんな冷たいんですよ。コーチや選手から『あいつは終わった』『昔は強かったけどもうダメだよ』という声が聞こえる。手のひら返しのような態度を取られました。日本代表の合宿に顔を出すと、『おまえ、何しに来たんだ』と。もう本当に人の冷たさ、世間の風の冷たさが染みました」

 代表候補を外されたため、大会ではシード権もなく、1回戦からの出場を余儀なくされた。「その大会で僕が一番になった。それでも代表候補には戻れませんでした」

 孫のような存在の圭佑も、一時はW杯メンバーからの落選を予想する声が聞かれ、「本田も終わり」とささやかれた。この時期、大三郎さんと圭佑の心境には共通するものがあっただろう。

 大三郎さんは同年10月、『全日本選手権兼東京国際大会』いわゆる“プレ五輪”を迎えた。