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崖っぷち圭佑へ「逆境で燃えるのが本田家の男だろ!」 “ビッグマウス”の源流、大叔父・本田大三郎さんがエール (3/3ページ)

 「世界各国の代表選手、実力のある招待選手を抑えて、日本代表候補でもない僕が3位になった。カヌーの公式戦で日本人が外国選手を破った最初の記録にもなりました」

 これで五輪代表の座をもぎ取ったのだ。勝因は宮本武蔵の『五輪書』を暗記するほど読んだことだった。練習は量ではなく質であると肝に銘じ、効果的な練習・作戦を模索した結果、ひらめいた。会場の相模湖のほとりにある嵐山で“秘策”を練ったのが成功した。

 「頂上まで登ると会場の相模湖を見渡せることに気づいたんです。そこで試合のシミュレーションを毎日徹底して行った。急な斜面を往復1時間。1日3回も登った。コースを完璧に頭にたたき込み、時間配分、力の配分を計算。機材にもこだわり抜き、パドルをねじったり、竹製にしたり、空洞にしてしなりを生みだしたり舟を削ったり…」

 当時の日本選手が誰もやっていなかった改良を加えた。

 「僕の行動は、宮本武蔵のいう『よくよく吟味して、よくよく工夫し、よくよく鍛錬する。そして正々堂々と戦って、勝つ』という言葉から生まれました。選択肢をたくさん持っている者が、最後に勝つ。圭佑はその意識を持っています。自分を信じてやってほしい」

 苦戦が予想されるW杯で圭佑は奇跡を起こせるだろうか。(飯田絵美)

 ■本田大三郎(ほんだ・だいさぶろう) 1935年2月12日、熊本県生まれ。日体大中退後、自衛隊に入隊。自衛隊体育学校の教官として、ハンドボール、ラグビーなどの指導に当たる。64年東京五輪のハンドボール競技の選手として出場予定だったが、正式種目から外れたことでカヌーに転向。3年間の練習の末、同五輪「1000メートル カナディアンペア」に出場(予選敗退)。72年ミュンヘン五輪にはコーチとして同行。横浜市消防局に転職し、体育訓練担当課長。定年退職後、神奈川県三浦市の「マホロバ・ホンダカヌースクール」代表。長男・多聞はレスリングでロス、ソウル、バルセロナ五輪代表。兄の孫が本田圭佑。