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村田VSドン山根会長…確執の全真相 新プロ団体「APB」設立での村田引き抜き失敗で亀裂か… (2/3ページ)

 いくら上部団体の決めたことでも、これはさすがに無理のある要求だった。APBは日本でプロ興行を監督する日本ボクシングコミッションにも認可されていない。アメリカやメキシコなど他国にも積極的にAPBに参加する動きはなかっただけに、本来日本も不参加を表明すればよかった。

 しかし山根会長は1994年から2002年の8年間、AIBAの実行委員を務め、いわばAIBAベッタリ。独断でAPB参加を決めてしまったのである。

 しかし、帝拳など日本の大手プロモーターがプロデビューを進めていた村田は、山根会長の求めるAPB参加要請との板挟みに苦しみ、一時は引退発言をしたこともあった。結局APBに背を向けプロ入りを決めたことで連盟は理事会で異例の“引退勧告”を決議。事実上のアマ追放を決めた。

 「山根会長は金メダリスト・村田の参加をAIBAへの手土産に、大きな顔をしたかったんでしょうね。そのメンツを潰されたので激怒し、ちょうどこのとき開かれた山根会長の功績をたたえる祝賀会にも、『おまえはプロに行くなら来るな』と言ったんです」(同)

 長年、選手の奪い合いでプロ・アマが対立してきたボクシング界だけに、一部では「村田の根回し不足」との厳しい見方もあったが、当時プロ側の関係者は「ヤクザじゃあるまいし、論点のすり替えも甚だしい。個人の就職活動を妨害している」と怒っていた。

 このAPB参加プランの被害者は、もうひとりいた。ロンドン五輪で銅メダルを獲得した清水聡(大橋)だ。こちらは連盟の意向に沿い、APB契約選手となったが、実際に試合出場をしなかったため、14年にAIBAから1年間の出場停止処分を科された。

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