記事詳細

輪島さんの“相撲界復帰”に奔走した北の湖前理事長 「右のおっつけの方が強烈だった。だからこそ左が生きた」 追悼秘話 (2/2ページ)

 輪島氏は1981年春場所限りで引退し、花籠親方となって部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚し85年12月に廃業。プロレスラーに転向したが、日本相撲協会はこれを機に全日本プロレスへの両国国技館貸し出しを禁止するなど、スキャンダルで追放された輪島氏への対応は厳しかった。

 この日も協会広報部は「テレビで見ただけで、(輪島氏側から)何の連絡も入っていないし、連絡先もわからない」。協会としてコメントを出すこともなかった。

 それでも、ライバルだった北の湖前理事長は輪島氏に毎場所番付表を送り続け、「何とか輪島さんを、自由に国技館に出入りできるようにしたいんだけど、なかなか難しい」と語っていた。

 2009年初場所では、NHKのゲスト解説という形で輪島氏の“国技館復帰”が実現。14年秋場所前には、遠縁にあたる輝がいる高田川部屋で行われた二所ノ関一門連合稽古に姿をみせた。

 13年に咽頭がんの手術を受け発声が困難となっていたが、晩年に大相撲との関わりが持てたことはせめてもの救いだったかもしれない。(塚沢健太郎)

関連ニュース