記事詳細

【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】復活の舞台に父が選んだのは…負傷した「桐生」 厄除けの塩で気持ち切り替え復帰戦へ (1/2ページ)

 1990年4月8日、ボートレース桐生(群馬)の新鋭リーグ戦で、私はレースに復帰しました。

 3カ月前、同地でのレース中に大けがを負い、近くで75針の縫合手術を受け、その後私の地元・北九州市で鼻骨に頭蓋骨の一部を移植する手術を受けてから、ごく短期間での復帰です。身体的な機能は問題ありませんでしたが、顔などの傷跡はまだ完治途中で、時折、顔面にけいれんや痛みが残る状態でした。

 それでも「復帰は桐生からがいいんじゃないか?」という父のアドバイスに従い、復帰の舞台をここに決めました。父の言葉の真意は今でも分かりませんが、私の性格や今後を考えてのことでしょう。私は桐生出場を決断しました。

 期待と不安を胸に、桐生に到着したのは前日の7日です。「前日検査」といい、荷物検査や健康チェックなど各種手続きが行われるからです。短期間での復帰なので、私の姿を見た桐生の関係者から、驚きの表情とともに『よく来たね』というやさしい声がかかりました。特にケガの直後落水した私を助けてくれたレスキュー艇の皆さん、応急処置をしてくれた医務室の先生には喜んでいただきました。大変なけがだったので皆さん心配してくれていたのです。

 場内には「保管」といって、レースで使用する救命道具やユニホームを乾燥させたり、選手のシャツや下着などを洗濯してくれる係の方も働いています。その方々も復帰を喜んでくれました。保管の皆さんは、私がケガをした第1ターンマーク付近に「塩をまいておいで」と、塩を渡してくれました。

関連ニュース