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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】念願の初優勝…賞金封筒の重みにプロになった実感 (1/2ページ)

 たくさんの方々に支えられて、レースに復帰しました。当初はけがが完全に癒えたわけではなく、ヘルメットを脱着するときやレース中に顔に水が当たると痛かったものです。それでも我慢して他のレーサーより練習は積んでいたと思います。効果は徐々に表れ、1990年7月26日に、佐賀県唐津市の「ボートレースからつ」で念願の初優勝をすることができました。

 レースは新鋭リーグ戦競走で、登録6年未満の若手レーサーによって競うレースでした。競走成績は2着、2着、1着、2着、3着、5着、1着(準優)、1着(優勝)。初優勝までにかかった期間は3年9カ月ですから、当時は早いほうではありませんでした。

 初優勝といえば「水神祭」といって、仲間によって水中にほうり込まれる手荒な祝福がつきものですが、このときはなかったように記憶しています。私の場合、1986年12月31日、デビュー2節目のボートレース芦屋(福岡)の初勝利で、初めての「水神祭」をしました。大みそかの寒い中でしたけど、寒さを忘れるほどのうれしさと、ようやくプロになったというホッとした気持ちを今でも覚えています。

 初優勝の優勝戦には、私の同期生で同じ福岡出身の今村暢孝選手(現役)、崎野俊樹選手(引退)も進出しました。普段からこの3人でよく一緒に練習をしていました。レース場関係者から「私たちが練習に来るとガソリンがなくなる」と言われるほどでした。ともにライバルですが、同じ優勝戦に乗れてうれしさも感じました。レースの方は残念ながら今村選手はフライングでした。私はまくりで優勝したように記憶しています。

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