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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】ペラが仕上がらずスランプに… GP初挑戦はほろ苦い結果 (1/2ページ)

★グランプリへの道(2)

 1993年、初めてのグランプリ挑戦はほろ苦い結果に終わりました。

 当時は現在のようにモーターに備えつけられたプロペラを使用するのではなく、レーサー個人持ちのペラを使用する制度でしたので、各レーサーはそれぞれエースペラを持参してレースに参加していました。私はエースペラを夏ぐらいのレースで破損してしまい、それから自分のレーススタイルにしっくりくるペラが仕上がらないので、レースも少し不完全燃焼が続いていました。プロペラでの初のスランプだったと思います。

 初めてのグランプリにも新ペラを調整して挑みましたが、実戦実績の乏しいペラに不安はありました。短いトライアル予選でしたが、懸命にプロペラ修正を行いました。今考えるとプロペラの不安からレースに集中できていなかったのかもしれません。結局、モーターにプロペラを合わせ切ることができませんでした。当然レース結果も満足できるものではありませんでした。現状の考えや取り組み方ではグランプリ優勝はもちろん、大先輩に認められるレーサーになることは難しいと考えました。それからはより悔いの残らない準備をするように心掛けました。

 その経験を踏まえて、翌1994年12月の第9回グランプリには、優勝戦にまで出場できました。優勝戦には3枠で出場し、5コースのカドから(ダッシュスタート)のレースでした。でも、対戦した大先輩たちを相手に何もすることができず、何とか追い上げて3着までがいっぱいでした。優勝したのは、翌年私と艇史に残るデッドヒートを繰り広げることになる徳島の中道善博大先輩です。3コースからのまくりでした。そして開催地・ボートレース住之江の地元、大阪の野中和夫大先輩が、絶妙なタイミングで差して2着という結果でした。

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